ひつじの

リハビリをしながら生活しています。

STAY HOMEな日々に対する自分の違和感の色々。

コロナさんのせいでGWの旅行の計画はキャンセルした。残念だったけど、お城は逃げない。また次に行けば良い。

これから先に、6月のアメリカンフットボールのライブと、8月のフジロックの予定が控えているけれど、どっちもダメそうだと思っている。

時間が有り余る日々の諸々。

 

 

人と接触しなくても良い生活はとても楽ちんだ。世界が逆転して、天国気分です。

ただ、世の中の「大変ですよね」に同調しなければいけないことが辛い。心の底では殆ど何も辛くない。「大変ですよね」は仕事だと思ってやっている。

いちいちマスクをしなければならないことは鬱陶しい。口の周りが蒸すようで気持ちが悪い。顎にも変な力が入るのか、顔の輪郭が凝ってしんどくなる。

マスクが面倒くさいので殆ど家にいる。

生活のためにはたまの買い出しに行かなきゃならないわけで、スーパーやら薬局やらに行くと、わざわざ家族連れでおいでになられていたりして、まじかー、と思う。走り回りたい気持ちは分かる。キッズは悪くない。そこで通路を塞いでいるパパと一緒に車の中で待っていなさい。

そんなこんなで民度の低さがドンキ並に濃縮還元されていて辛い。余計に外に出たくなくなる。

 

 

 

我々夫婦はというと、元々お互いに距離が遠く、お互いにASDの特性が顕著なので、在宅なら在宅で好き勝手に過ごしている。

主の人はずっとガンプラを作っている。キッチンの換気扇の下でエアブラシをやるので、たまに邪魔です。

私はネトフリで動画を見たり、ラジオを聞いたり、麻雀をしたり、料理をしたりしている。読むのが辛いと思っていた本も、ああああああああああああああって心で叫びながら、読んでいる。

暗黙の了解なのか、最低限ってことで、お互いに今日は仕事なのか、家にいる日なのかは確認するようにしている。

あと、私側からの仕掛けとして、一緒にやりたいこと(主に掃除とか)は適当な紙に書き出して共有、視覚的に伝えるようにしている。そうしないと「やるって言ったじゃん!」「そんなの聞いてない!」になりそうなので。

まあ収入が減らない限りは、この生活が続け!と思っている。実に不謹慎と思う。

ただ、確かに子どもがいたら大変だろうな。子どもは基本的に家の外で成長するものだと思う。特に小さい子がいる家庭は戦場になっているだろう。

そこそこの年齢でも、ADHDで多動が強い子は辛そう。学校で発散できていたエネルギーも多かろう。対してASDの子は私と同じく毎日が天国だと思う。学校行かなくて良いし。

このままだと不登校になってしまうんじゃないか、なんて話もあるけど、学校なんて元々楽しい場所ではない。嫌々行くところなんだから、当然じゃん、とも思う。家が充実している証拠。虐待を受けている子は学校が逃げ場だ。

教育補償も問題になっているとかいないとか。長期間の休校は確かに非常にイレギュラーな事態であって、学力差が出るのかどうか、研究する人も出てくるんだろうか。

あんまり出ないよってことになると、じゃあ義務教育って何だったんだろうなって話。

私自身は義務教育で”教えてもらった”感覚はあんまりない。教科書読めば分かるじゃんって思っていた。いちいち授業を受ける意味も分からなかった。なんで分かっていることを取り上げないと行けないのか、分からないヤツにわざわざ時間を割かないといけないのか、本当に分からなかった。

そういうことになっていたから、そうしただけだ。

 

 

とにかく私は集団に同調できないことが多い。空気が読めないと社会に殺されてしまうので世の中のルールはたたき込んでいるつもりだけど、実際には意味が分からないことばかりである。冠婚葬祭とかまさにそれです。

今の状況も自宅は天国でも、世の中全体が”コロナに立ち向かおうぜ!”ってな感じで、勝手に一致団結されちゃって、あげくの果てには医療者を応援しよう!って青いライトで照らされちゃったりなんかした日には、自分の「輪に入れない人」っぷりに人知れず死にたくなる気持ちです。外野が鼓舞して讃えるよりも、お金配ってあげたらいいのに。

いつまで経っても社会になじめないのは、私の発達が偏りまくっているからだと十分理解していたが、先日、新しくなったWAISの練習台に被検者になったことで、いよいよ自分の偏りっぷりが客観的に明らかになったわけです。

普段は検査を取る側の人間なので、どんなプロフィールになるのかもおおよそ予測できていたことだったけど、思いの外異常な数値をたたき出したので衝撃は大きかった。

前のバージョンと同じような問題もあるから言語は実際より高く出ているにしても、全体的には高いレベル。良くて115~120くらいだと思ってたんだけど。

ただ差が激しい。40差があるのはおかしい。他の指標に比べてワーキングメモリーが低すぎる。やばい。やばすぎて思わず笑う。

これでよく生きてきたなと思う。そりゃ死にたくなるはずだよ。普通に生きてるだけなのに上手くいかないことが多い。

平均に比べ1.2倍から1.3倍と換算すると、生後から就学までの発達スピードと合致するところがあり、納得する。喋るのも歩くのも文字を書くのも何もかもが異常に早かった。両親はそれを「賢い」と喜び、自慢だったっぽいけど、大間違いである。

賢すぎるのは普通じゃないんだよ。

小学校の頃の忘れ物の多さも納得する。国語辞典を持って帰ってこなす宿題は鬼門だった。おかげで3冊くらい同じ辞書持ってた。

あと、今も片付けが出来ない。

よくモノをなくすので、書類の類いはその日にやらないといけない。

忘れ物も酷い。牛乳を買いに行こうとしてうどんを買って帰ってきます。

車と玄関を何往復もせずに家を出られた日はラッキーな日。遅刻することを見越して早めに動くので、大体早く着きすぎてしまう。

締め切りのあるものは何回もスケジュールに書かないとなかったことになってしまうからスケジュール帳は2冊持っている。病的な自制心によって締め切りを破ったことは一度も無いが、毎日がプレッシャーである。

仕事をいくつも掛け持ちしているのも、勤務先が一カ所になると場所と人間関係に飽きちゃうからで、スケジュール管理の難しさよりも、飽きのこなさを優先して仕事をしている。

対してPRIは異常な高さだったんだけど、一度にたくさんのことを覚えていられないから要点をまとめて覚えるようにシフトしてきたせいもあるだろうな、と思っている。

これを押さえておけば応用が利く、というものを好む。類型化するのはすごく早い。

ものごとのちょうど良いところ、玄人にも素人にも受けそうなラインをおさえるのが得意なのも、強みだと思う。それに詳しくなくても大体話が回せる。

定期テストでどこが出るとか山を張るのもめちゃくちゃ得意だったので重宝がられた。要点とテストを作る側の人の意図が分かれば定期テストは余裕である。予測とか想像の力で、覚えていられなさをカバーしているのだと思う。

何を語ったかよりも、どう語ったかのほうを重視する。パッと見ただけでどんな人か大体感覚的に分かる。

姿勢が変だとか、表情筋に違和感があるとか、なんかいつもとちがくない?とか、そういうのも気付く方。そのあたりも仕事では役に立っていると思う。

 

診断がつくならASDADHDになるだろうけど、自分でも分かってるし、家族も分かってるし、不注意型に薬は効きづらいので医療にかかるメリットがないなーと思っている。

ただ、こういう結果を見て、とにかく一言、「それなら早く言ってよねー」と思った。子どもの頃にこれが分かっていたら、だいぶ人生が楽だったはずだ。少なくとも、自分に不信感を抱かずに済んだと思う。バカみたいな表現だけど、もっと自分に自信が持てたし、余計に傷つかなくて良かったはずだ。

上手くいかない何もかもが自分が悪いと思い続け、努力でカバーしてきたんだから、自分は偉いもんだなと思ったよ。

 

こういう検査はどうフィードバックされるか(専門家からしたら、どうフィードバックするか)が肝なのだが、やっぱり子どものうちに受けといた方が良いんじゃないか、と思う。そこそこ賢いタイプの子だったら尚更。自分の違和感が何なのか知りたいと思うんじゃないか。

どんな説得を受けても検査を拒否する親御さんもたまにいるけど、まあそれはそれで良いとして、得た情報を生かす道が残っているなら、情報はあったに越したことはないと思うなあ。(機械的なテンプレートで仕上げた正しいだけで役に立たないウンコ所見を偉そうに書いてよこす専門家もいるから何とも言えないけど)(せめて言葉遣いとか、もっと易しく書いてあげれば良いのに)

私もそうだけど、精神的な不安定さのベースに発達の偏りがあることって全然珍しくなくて、むしろ普通のプロフィールなんか殆ど見ないんだから。

その子の今じゃなくて、10年、20年先の人生を考えて、選択して欲しいなーと思ったりして。

まあとにかく、こんな感じなので、生きづらさを何とかする日々は死ぬまで続く。