ひつじの

リハビリをしながら生活しています。

初めての嫁仕事。

旦那さんの祖母が亡くなったので、田舎に帰っていました。先週。

ピル飲み始めての変化のいろいろとか、バインちゃんのライブの感想とか、書きたいことはあるけど、とりあえず大事件だったので書き記しておく。

そりゃもう大変で、なんでこんな人と結婚してしまったのかと何度も後悔した。

終わってしまえば何のことはないわけだが、マジで糞イベント。誰の得にもなっていなかった。

 

旦那さんから祖母の話は聞いていたけれど、祖母のことが嫌いだったトークしか出てこないので、私にも良い印象はなく、一度も会ったことがなかった。そういう人の葬式に出るってことも胸糞悪いし、義理以外には何も理由がないので、本当につらかった。

結果的に仕事とは重ならなかったものの、「代わりがきかない仕事なので、重なったら仕事を優先します」という私の言葉に、義父は苦い顔をした。

”仕事は休んで当然”という古い考えに打ちのめされた。代わりがきかない仕事というのは、数は少ないかもしれないけど、実際存在していて、実際今の私の仕事がそうだ。私の家族は全員専門職に就いていて、そういう家族の中で育ち、自分のお祝い事に両親が不在なこともザラだったので、仕事を理由に休めない行事が存在していることに衝撃を受けた。これは、私がレアケースかも。

式準備の最中には「恰好がつかない」という言葉をたくさん聞いた。

困ったときはとりあえず笑っておけ、と思っているので、2日間のほとんどを意味なくほほ笑んで会う人会う人に挨拶しまくってたんだけど、頭の中は「なんだそれ?」でいっぱいだった。

「なんで父方の、既に当主でもない嫁入りの遠い親戚のババアがこんなにも口出ししているんだろう」とか。色々と。

もうね、こういうのはその土地の風習、価値観の違いだから仕方ないけどさ、ほんっとカルチャーショックだからね。

言い出したらきりがない。

そもそも、亡くなった当人がまだ生きてる間から、私の和装のサイズを聞いてくるような、それが必要となるような家なのだ。

そりゃ、いざ死んだとなってからはバタバタするわけで、そこから準備していては間に合わないのは分かるのだけど、一度も会ったことのないその人の死を待ってるみたいで、私は凄く嫌だった。

後になって思えば、親族みんな”恰好をつけて”来ているところに、私一人が”恰好がつかい”のは心苦しいだろうから、という配慮だったのかな、と思わなくもないが、単純に「何なのあの嫁」と陰口叩かれるのが嫌だったからなんだろう。

個人的には、あまりに着飾っているほうが、故人に失礼だなあと思わなくもないんだけど。

式自体も、そりゃあ仰々しいもの(大村崑が「特葬!」と喜ぶアレ)で、亡くなった人を惜しんで遺族をいたわるという、葬式の本分はどこにも感じられなかった。これがまだ、すごい名家とか、すごいお偉いさんとか、そういうのなら仕方ないかなあと思うんだけど、こんな私との結婚を許すような、普通の兼業農家じゃんね。

式が終わった後、親族同士が集まって話していたのは「あの家の○○さんが・・・」という内容だけだった。

嫌らしい人たち、嫌らしい会話、嫌らしい笑顔、全部飲み込んだ2日間だった。空気を読みすぎて一体何が正解なのか分からなくなった。

世の中の嫁たちは、誰にも文句を言わず、こんな大変なことをやっていたんだなあ、と思うと、女の凄さを思い知る。その「大変だなあ・・・」という思いだけで、義母のことはちょっと好きになった。実際悪い人ではないのだ、おせっかいなだけで。

 

それはそうと、葬式の後ってなんであんなに性欲が高ぶるのか謎である。

葬儀後一発目のセクロスはとても良いものだったので、全てをひっくるめて良しとする。